音楽という単語を生み出した人へ金一封を差し上げたい

憧れのお姉さんに肖って椎木が嵐さんをテーマに音楽について語る日記、パート2。いってみよー。

 

お別れの歌 / never young beach

カントリー調だからか ふわっと力を抜いて聴けるのが魅力だよね、ネバヤン。「ぼくらは小学生!秘密基地を作るんだ!」って感じのいつまでも少年心を忘れないアー写は密かにわたしのたのしみ。ちなみにボーカルは高橋一生の弟だったりする。聴いててわくわくする、というかわくわくしかしないので。夏の海で流したいです。

 

あー 君には 言えやしないよ
あー 君の目を ちゃんと見て話したいよ

 

これは 大野くん のイメージが強いな。

「あー」って力の抜けたかんじがたまらないよね。この曲を聴きながら鳥の巣みたいなほわほわ頭でへにゃって笑ってる大野くんを想像でぽぽぽぽっと創り出してしまった、わたしの頭の中って都合よくできてる。きっと多分、この曲は最後の「愛していたよ」が肝というかスパイスになってるんじゃないかなあ。決めるところではきっかり決める。そんなかんじ。うやむやにしないで伝えたいことは伝える、そうだといいな、と。ふたりでぺたぺたサンダル鳴らして大野くんが歌ってる鼻歌をふはって笑いながら隣で聴く、というプランはすでに立っていたのですが。どこで間違えたんだろう。いっしょに歌って「へたくそな歌やなー」と笑われるってところまでプランに組み込んでたとか一生言えない。

 

僕の名前を / back number

back numberを一度でも耳にしたことない若者っているのかな。ド定番すぎて選ぶの躊躇したんだけど譲れなかったというね。わたしが歌うにはちょうどいい音域、というどうでもいい情報を添えて。あ、言い忘れてたけどいちばんすきな曲は「サイレン」、というもっとどうでもいい情報を添えに添えて。

 

形があるといつか壊れてしまうなら
初めから作らなければその方がいい
失うのが怖くて繋がってしまうのが怖くて
なのに君は何度も 何度も僕の名前を

 

堂々たるヘタレっぷり、櫻井さんではないか。

ヘタレ=櫻井さんの方程式ってほとんどのヲタクの共通事項なんじゃないかと思ってるので。あーっ!って頭わしゃわしゃして色恋沙汰に本気で悩む櫻井さんの構図、もうすでに完成してるのですが。いちばん現実を見ている人間だからこそ壊れてしまうかもしれないものを作り出す恐怖までも考えてしまうんだろうな。ド偏見だけど「👧🏻すき!👦🏻すき!👫すき!」っていう単純で、それでいていちばん幸せな恋愛のスタートが苦手そう。わはは。

 

最初から知ってたみたいに
僕の痛いところを
見つけて手をあててくるから
君はきっと未来から来たんだろう

 

未来から来た、なんてありえないのにね。頭のいい人間ほど論理的でない考えを時たまするから。と、いうより論理的でないなにか(別に超常現象とかそういったわけではない)について神妙な顔つきでぼそっと呟くイメージがあるからかな。本人は真剣なんだよ、そこが客観的に見ると愛おしく感じるわけです。

 

ということでわたしがすきな曲について語る日記、feat.嵐、でした。ちゃんちゃん。これ読んだ人もぜひやってみて。わたしがみんなのすきな曲を知りたいっていうのと、みんなの頭の中を覗きたいっていうのと。いろいろ理由はあるけどなにより自分の考えをまとめるのってたのしかったりします。電車とか空コマとか休憩時間とか。時間を見つけては文字を書くのがすきなわたしは書き上げたあとの謎の達成感と謎の倦怠感がきっとクセになってるんだろうなー。みんなもいっしょにどう?

 

 

もっと、音を楽しもうぜ。

 

憧れのお姉さんに肖って椎木が嵐さんをテーマに音楽について語る日記。読んでらっしゃい聴いてらっしゃい。てへへ。

 

1999 / 羊文学

ギターのトレモロと控えめなコーラスワークの構成で雪が降ってるんじゃないかと錯覚してしまうようなサウンドスケープがお気に入り。個人的にバスドラが前に出るイントロ、だいすきです。若いのにこんなすてきな音楽を作り出してしまう才能に脱帽して、それから応援すると心に誓って、聴いて。今年の冬はこの曲一択になるんじゃないか、と密かに。

 

それは世紀末のクリスマスイブ
僕が愛していたあのひとを
知らない神様が変えてしまった

 
この曲は 相葉くん かな。(クリスマスイブ、だしね)

舞台は1999年。20世紀最後のイブに自分の元から離れていった彼女に想いを馳せる曲、と解釈済み。ぼおっとしていても21世紀になってしまう世界で彼女を忘れられずに20世紀を生きている僕と着実に世紀末へと進んでいく世界。そこにひとり取り残されたままでいる悲しみと儚さと少しの希望が伝わってきて胸がぎゅっと詰まる曲なんだな、これが。

一人称が「ぼく」だったり、「テディベア」「ママやパパ」という幼気のある歌詞とは対照に大人びた淡い曲調ってのがたまらなく刺さる。きっと大人の階段を登ってる途中なんだろうね。個人的に相葉くんはカントリーな系譜で、でもどこかノスタルジックな曲がぴったりだと思ってたんだけどこの曲を聴いた時「あ、ちがうかも」ってなっちゃった。実はいちばん心の奥に儚さを持ってるんじゃないかなあ、と。

 

さよならミッドナイト / 大柴広己

とりあえず全人類が聴きなさい、という曲。なんか、もう、とりあえずエモい。最近のわたしの夜のお散歩のお供にもなっててね。なんか、とにかく、エモい。聴けば分かる。フレットノイズがまたいい味出してんだ。

 

乾杯って言って 君ははにかんだ
見慣れた顔 声 落ち着く匂い
少し赤いって 恥ずかしがって
おでこを押さえる 昨日の笑顔

 

圧倒的に、二宮くんじゃないですかね。

こんな情景伝わることありますか?ってくらい直接的でまっすぐな歌詞が二宮くんらしい。別れの曲だけどちゃんと思い出をひとつひとつ拾って回想してるところとかも。

 

変われない 変わりたい 変われなくない
忘れたい 忘れない もう振り返らない

 

なんだろう、本当はずっと一緒にいたいのにそれを言えないもどかしさ、というか。別れを目前にした気丈なふるまいの痛々しさ、というか。「時間よ止まれ」っていうのがこの曲の感情のすべてなんじゃないかなと思ってしまった。「冬夜のマジック」だったり「染まるよ」だったり。二宮くんは夜が似合ってしまうからこうやって夜をテーマにした儚気な曲で脳内変換されやすいのかなあ。アコギ一本でいつの日か歌ってほしい。

 

もう恋なんてしない / 槇原敬之

マッキーだいすき!これは完全に親の影響だけど。懐メロと呼ばれるジャンルは昔から車の中で流れていたので大好物。マッキーしかりミスチルしかり、今の世代が聴いても古いって感じないんだもんすごいや。小学生になる前からよくお母さんと車の中で歌ってたのをふと思い出しました。

 

君がいないと 何も できないわけじゃないと
ヤカンを火にかけたけど 紅茶のありかがわからない
ほら朝食も作れたもんね だけどあまりおいしくない
君が作ったのなら文句も 思いきり言えたのに

 

おまたせ、潤くん

いじらしくてかわいいこの曲の歌詞は潤くんにぴったりじゃないか。そこはかとない道明寺感というか、不器用で意地悪だけど誰よりも彼女がだいすきで好き好き言っちゃうシーンが目に浮かぶんだなあ。でもこの曲、案外さっぱりしててお前と別れたからお前以外のやつと幸せになってやるよ!っていう内容なんだよね。

お前と別れて凹んでるとでも思ったか!懲りずに恋してやるよ!っていう爽やかな曲調なのにどこか男臭い内容なのがすごくすき。だし、これは完全に松本潤だ!となってしまった。尻尾をふりふり振ってても一度気に食わないと噛み付いて、そのあとずっとグルグル吠え続けるような感じ。こういうのがいちばん人間味があって自分に嘘を付かないでありのままで生きてるって感じするよね。

 

ばばばっと3人分書いたところで限界が来てしまった。自己満足でお兄さんふたりも今度書こう。結局、わたしがプレイリストだったり曲をまとめてるのは「あのころのわたしはあの時期にこの曲を聴いてたのね」っていつかの感慨にふけるとき用だったりするんだけど。どんなときも曲を作ったアーティストと命が宿った曲のひとつひとつにはちゃんと向き合って聴いてるつもり。出会った日、たいせつな曲になった日、その日その日を忘れないように。わたし、そうやって今日も音楽を聴いてるんだよ。

 

2019.10.24

 

わたしは愛という名の麻薬中毒者だった。

常日頃から映画を観たあとはその時感じたこと思ったことを忘れないうちに書き出すことにしている。書き出して整理をして「ああ、1500円の価値があったな」とか「これは映画館で観なくてもよかったな」とかをだらだらと考える。それがたのしい。それが映画の醍醐味だ、と自負している。

だけど今日はなぜかそんな気になれなかった。本屋をふらりと歩き回ってスタバでキャラメルマキアートをちみちみと飲んで。飲みながら自堕落な自分の偏愛歴について考えた。それでいてふと気づいた。書き出す気になれなかったのはあまりにもテルコと自分が重なる部分があったからだということに。いい意味で、観るのに疲れたということに。

偏っていた歴を平らに戻してあげたい。どれくらい長くなるか今の時点では何とも言えないので帰省中のサービスエリアでも駅でも空港でもなんでもどこでもいいから暇なら読んでみてね。何かが変わるかもしれない。変わらないかも知らないけど。でも、あくまでもこの文は自分の供養の為、です。

 

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「愛」について考えたことはあるか。寵愛、情愛、愛執。数えきれないくらいの愛の形が世の中にはある。「愛」に何かが付属されて愛を取り巻くひとつの事柄になる。それは知っている。じゃあ結局「愛」ってなんだ。それはわたしには分からなかった。悔しいかな分からなかった。そして18の春に偶然テルコに出会った。

「好意」が「執着」に変わったら最後。わたしとテルコに共通していたのは「好意」の粒が「執着」にまで成長してしまった、ということだ。今でこそ冷静に判断できるがその時は目の前のことしか見えていなかった。テルコが彼に呼び出されたらすぐ家へ行ったようにわたしだって彼に呼び出されたらわざわざ駅まで迎えに行ったし。テルコが彼の為に仕事を休んだようにわたしだって彼の為に部活を休んだこともあったし。自分だけが自惚れて良いように使われるのは側から見たらすごく可哀想な女だったんだろうけどそれでも自分の中ではしあわせな女だったんだからその時はそれでよかった。今のわたしからすればつくづく歪んでいるなと呆れる。

「全てを寛容に受け入れているから向こうが駄目になるんだ」と言われても「貴方には関係ないでしょ」となるだけ。きっとハンマーでガツンと殴られても多分気がつかない。気がつかない、か死ぬだけ。のび太の方がよっぽど良い子だ。

テルコがどうしてマモルに惹かれてどうしてその手を離すことができないのか。単純だ。「執着」しているから。じゃあどうしてわたしが離れられなかったのか。単純もなにもいまさら。「執着」していたからに決まっている。でも、どうしてそこまでして?と聞かれてもきっとそれは「好きになるのに理由なんていらないでしょ?」と同じ理屈。理由なんて無いんだろう。気がついたら離せなくなっていたというだけのはなし。ではそこに「愛」はあるのか。果たしてテルコはマモルに対して「愛」という情を持っていたのか。わたしがテルコと対談をして「本当にマモちゃんのことが好きなの?」と聞けばテルコは迷わず首を縦に振ると思う。冷静に考えられる今のわたしならテルコに対してそれはただの中毒に過ぎないよ、と諭すことができる筈だけれど。

そういえばいつの日か恋の作用は麻薬の作用に似ていると聞いたことがある。本当はわたしが彼(麻薬)を必要としているのに彼がわたしを必要としてくれているという幻想(副作用)を抱いているに過ぎないということだ。きっとテルコは当たり前になっている日常がマモルという名の麻薬を失うことで変わってしまうという恐怖を抱いているだけなのだと思う。きっと、ずっと、わたしも同じだった。

 

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いろんな事を教えてもらった気がする。君が好きだ、なんてドラマみたく始まる恋なんて高校生までだよって。言葉無しに始まることが普通になってくんだよって。今日ウチ誰もいないんだよね、なんて漫画みたいな台詞に憧れを抱くのもやめなよって。大人になったらお互いの同意で充分なんだよって。もっとみんな情けないんだよ。もっとみんなかっこ悪いんだよ、って。どうやら「愛」も「恋」もそんなもんらしい。わたしは幻想を抱きすぎていた。

ここまで「スタバの飲み物代には席料も含まれているらしい」という言葉を鵜呑みにして永遠と席を占領し書き続けてきたけれど。結局わたしには「愛」がなにか分からなかった。それだけでなく「恋」もなにか分からなくありつつある。困った。このままではなにも分からなくなってしまう。だからもう考えるのはやめにしよう。今日の夜ご飯はなににしようかな。そういえば冷蔵庫の中にたくさん卵が残っていたっけ。明日は帰省するからそれをどうにかしないといけないし電車は立ちっぱなしを覚悟しないといけない。そのためにはたくさん寝て体も休める必要があるな。だけど今日は怖い夢を見たんだっけ、寝られるかな。あとしやがれも観て二宮くんを補給しないと。うー、惚れた弱みだ。

 

惚れたら負け、とはきっとこういう事なんだろうか。

 

 

2019.4.27